天知る地知る己知る

  • 2015.02.06 Friday
  • 12:32
 一昨日から少し体調が悪く、ブログを書かねばと思いつつとうとう書き綴ることが
出来なかったのです。
数年前の私なら若さで跳ね除けることが出来たのですが、やっぱし〜、歳なのでしょうね〜。

で、平戸にはこんな意味ある石碑(記念碑)があるのの後存知かな〜。
本来、四知の諺で「天知る地知る我知る人知る」が元の言葉、この四つの知を以て四知と言う。
一般的に「誰も知るまいと思っていても、隠し事と云うものはいつか必ず露見するものである」
という意味で用いられるが、その真意には「人が見ている見ていないで己の言行を安易に変えて
はいけない。常に自分が善しと思ったことのみを為すべきだ」という意志が含まれる。
即ち、「露見する可能性があるからやめる」というような消極的な言葉ではない。
群守となった楊震と、それに賄賂を贈ろうとした王密との故事が出典。
尚、後漢書では「地知る」は「神知る」となっている。


それも時計つきですよ。


なので、ある意味戒めの言葉であって、諭させる意味も含んでいるのです。
たとえば「お前ッ!、あそこの家の柿、盗んだやろ〜」ときつく言うのか、やんわりと「天知る
地知る 我知る 己知る」といった具合に正せば、言われた相手は胸に言葉が刺さる事でしょう。
昨年のことになるが、何処やらの市会議員さんが架空請求書を作り、空出張手当を懐に入れた
事件があったが、それこそこの諺がピッタリと当てはまるのです。
なので、可愛い嘘は憎めないが、醜い嘘はその人の人格さえ変えてしまうのです。

明日のブログ記事「冬の雄香寺さま」
今の時期、になさま気温の変化に要注意されたし。
エビス亭から

織田信長語録

  • 2014.04.30 Wednesday
  • 00:12
 織田信長が天下統一のため「天下布武」という言葉を述べている。
その”天下不武”とは「武家の政権を以って天下を支配する」と言うことだそうで、
これを基礎として、天下統一に向けて動いたのである。
その後、もし?、本能寺の変で命を落とさなかったならば、豊臣秀吉の天下は
なかっただろうし、徳川時代もなかっただろうと歴史家はそう断言している。
冷酷無常、それにて暖かみある情の深さ、それが織田信長の魅力だろう。


織田信長の一周忌に長興寺に寄進された肖像画。
作者は狩野永徳の弟、狩野宗秀。
織田信長の肖像画の中では、一番有名なものである(長興寺蔵)


安土城内のお寺に伝わっていた肖像画。
こちらも死後まもなく(一周忌とも)描かれている為、生前の姿に近いと思われる。
(神戸市立博物館蔵)


一、「理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。
   廃人と同じだ。理想を持ち、信念に生きよ!」


臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」

三、「仕事は自分で探して、創り出すものだ。
   与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ」


四、「人間50年下天(げてん)のうちをくらぶれば夢幻の如くなり、
   ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか」

   訳:人間の50年の生涯は、天上世界の時の流れに比べたら儚い夢や
   幻のようなもの。命あるもので死なない者は存在しない

  エビス亭から

 

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