種田山頭火(たねださんとうか)平戸へ来島

  • 2023.09.24 Sunday
  • 06:49

 

 詩人 種田山頭火

 昭和7年3月31日、平戸に来島し、平戸の景色を観て一句、こう詠みあげた。

 

 日本は世界の公園である 平戸は日本の公園である と。

 

 この句は現在、平戸大橋を渡る左に、大きく書かれた句碑が聳え立っていて一目で分かる。

 

 種田山頭火のハイクにおける象徴的表現がか彼の魅力であるため、今でも彼の書いた詩集が

12,000句も遺されていて、没後、その人気はいまだ衰えてないという凄い詩人である。

そんな種田山頭火の石碑が平戸城公園亀岡神社の前に建立されている。

平戸をもし?訪れる機会があれば是非!平戸城亀岡神社前に石碑がありますので、

彼に声をかけて上げてください。

 

 

 

天知る地知る己知る

  • 2015.02.06 Friday
  • 12:32
 一昨日から少し体調が悪く、ブログを書かねばと思いつつとうとう書き綴ることが
出来なかったのです。
数年前の私なら若さで跳ね除けることが出来たのですが、やっぱし〜、歳なのでしょうね〜。

で、平戸にはこんな意味ある石碑(記念碑)があるのの後存知かな〜。
本来、四知の諺で「天知る地知る我知る人知る」が元の言葉、この四つの知を以て四知と言う。
一般的に「誰も知るまいと思っていても、隠し事と云うものはいつか必ず露見するものである」
という意味で用いられるが、その真意には「人が見ている見ていないで己の言行を安易に変えて
はいけない。常に自分が善しと思ったことのみを為すべきだ」という意志が含まれる。
即ち、「露見する可能性があるからやめる」というような消極的な言葉ではない。
群守となった楊震と、それに賄賂を贈ろうとした王密との故事が出典。
尚、後漢書では「地知る」は「神知る」となっている。


それも時計つきですよ。


なので、ある意味戒めの言葉であって、諭させる意味も含んでいるのです。
たとえば「お前ッ!、あそこの家の柿、盗んだやろ〜」ときつく言うのか、やんわりと「天知る
地知る 我知る 己知る」といった具合に正せば、言われた相手は胸に言葉が刺さる事でしょう。
昨年のことになるが、何処やらの市会議員さんが架空請求書を作り、空出張手当を懐に入れた
事件があったが、それこそこの諺がピッタリと当てはまるのです。
なので、可愛い嘘は憎めないが、醜い嘘はその人の人格さえ変えてしまうのです。

明日のブログ記事「冬の雄香寺さま」
今の時期、になさま気温の変化に要注意されたし。
エビス亭から

織田信長語録

  • 2014.04.30 Wednesday
  • 00:12
 織田信長が天下統一のため「天下布武」という言葉を述べている。
その”天下不武”とは「武家の政権を以って天下を支配する」と言うことだそうで、
これを基礎として、天下統一に向けて動いたのである。
その後、もし?、本能寺の変で命を落とさなかったならば、豊臣秀吉の天下は
なかっただろうし、徳川時代もなかっただろうと歴史家はそう断言している。
冷酷無常、それにて暖かみある情の深さ、それが織田信長の魅力だろう。


織田信長の一周忌に長興寺に寄進された肖像画。
作者は狩野永徳の弟、狩野宗秀。
織田信長の肖像画の中では、一番有名なものである(長興寺蔵)


安土城内のお寺に伝わっていた肖像画。
こちらも死後まもなく(一周忌とも)描かれている為、生前の姿に近いと思われる。
(神戸市立博物館蔵)


一、「理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。
   廃人と同じだ。理想を持ち、信念に生きよ!」


臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」

三、「仕事は自分で探して、創り出すものだ。
   与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ」


四、「人間50年下天(げてん)のうちをくらぶれば夢幻の如くなり、
   ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか」

   訳:人間の50年の生涯は、天上世界の時の流れに比べたら儚い夢や
   幻のようなもの。命あるもので死なない者は存在しない

  エビス亭から

 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM