デプリカ
- 2018.08.19 Sunday
- 00:17
ひらど観光協会売店に行くと、茂右衛門窯オリジナルの教会のデプリカが販売されている。
展示されている作品は右からセントザビエル教会、紐差教会、宝亀教会、田平天主堂、山田教会
の5種。
お土産品だけにそれなりの価格帯で展示されているが、教会めぐりをした感じが残る。
本来、茂右衛門窯とは歴史に残る窯元さんで、唯一、平戸に存在する古き窯元であり、デプリカ
より、高級な茶器や器、大皿など手がけている。
平戸歴史資料から抜粋
慶長3年(1598年)現在の長崎県の平戸藩主・松浦鎮信(まつうらしげのぶ)公が、
朝鮮半島より陶工たちを連れ帰ったことに平戸焼の歴史は幕を開けます。
その時の陶工の中でも特に優れた技術を誇ったのが、李朝七世の流れをくむ女性
「ルイ女(じょ)」でした。
ルイ女は日本に帰化し、初代中里茂右ヱ門に嫁ぐと、高麗の陶磁技法を伝授しました。
焼物といえば土の陶器であった当時の日本において、透き通る白磁を作るべく、ルイ女
たちは理想の陶石を求めてさまよいます。
そして、雅味を含む天草陶石と網代陶石を発見し、美しい白磁を完成させました。
そのため後世の陶工はルイ女を陶器の神「高麗媼(ばば)」として祀りました。
その高麗媼を開祖として仰ぐのが、由緒正しき茂右ヱ門窯。平戸藩御用窯として重んじられ、
さらに平戸焼宗家として一子相伝の技を守り伝えてきました。
寛文の頃には将軍家、元禄の頃には天皇家ご嘉納の栄誉に浴しています。以来、御上への
献上品を筆頭に、藩の調度品から家臣への下賜品、他藩への贈答品など、高級磁器を手がけて
きました。
19世紀にはオランダや中国へ輸出され、諸国の王候貴族にも愛されました。
明治時代にはパリ万博にも出店、大英博物館をして「世界で最も輝かしい焼物」と
称賛されます。
そして現在は、白磁最高の名匠である15代目中里茂右ヱ門氏の作品がルーブル美術館に
展示されるなど、平戸焼は世界的な名声を得ています。
そんな窯元が平戸にあるのですよ。
是非!一度、平戸に来た折はお尋ね下さい。
エビス亭から