ダン、今まで傍にいてくれてありがとう。





  • 2012.08.31 Friday
  • 01:52
  • 『生あるものはいずれ別れが来る』。ごく一般的な言葉の様だが、この一年の間、私にはとても翔がいのない二つの大きなものを失った。それはこのブログで昨年10月に書いた、連れ合いを病で亡くし、そしてつい先日8月20日、二人で育ててきた愛犬ダンディーを、同じく病気で亡くてしまった。昨年の今頃、私はそんなことすら想像もしたことがなかった。むしろ想像すらできなかったのである。『生あるものはいずれ別れが来る』・・・、それはいずれ、そういう時が来ることは誰もが承知のこと。それなりの心の準備を整えることが出来るが、突然では準備さえできないのである。特に事故や病気、それが自責の念に囚われ、自分を責め喘ぎ、その領域から抜け出せられないのだ。不幸にも、ダンを亡くしたその日から、私はペットロス症候群になってしまったと確信していたのだ。だが、ある人の助言を聞いたとき、沈みきった心が日に日に前を向いて歩き出すことができた。少しは食事も喉を通るようになった。悲しさで過ごすより、笑えるようにもなった。カウンセリングは受けたことはないが、遥かに心が和んだのである。
    その助言はこうであった。『人も動物も、死んでもその関係は永遠に続き、決して終わりではないですよ!』。そう、こんな助言だったが、凄く深い言葉だった。人は「死んだら終わりだ」と良く耳にすることがある。確かに姿かたちは見ることはできない。だがそれは本当だろうか?。
    そう思ってしまえば実に悲しいことだ。姿かたちは見えないが、そこにいるんだと思うことで自分の気持ちが安らぐ。心を澄ませれば感じることさえ出来るかも知れない、匂いも感じ取れるかもしれない。そう思うことで私の気持ちが救われたのである。そう、常に散歩に出かけていたが、無理してやめる必要もない。歩けば一緒に追てきているんだなと感じてやればいい。ダンはこんなオヤツがすきだったなって思えば買ってやればいい。
    とうちゃんからダンにメッセージとして・・
    この10日間、とうちゃんは気の済むまでダンのことをブログに書き綴った。それはとうちゃんが寂しかったからやで。家に帰っても一人で過ごすだけやからね。だからとうちゃんは、今月一杯までダンの思い出を書き続けようと心に決めていた。今はとうちゃんから会いに行けないが、いつでもとうちゃんに会いにおいで。それと、かあちゃんに早く会いなさい。かあちゃんもダンが来るのを待ってるよ!分ったね?。とうちゃんが大好きなダンディー、いつも一緒にいてくれてありがとう(=^0^=)。決してダンを忘れないから安心しなさい。

    ダンディー PAT9




    • 2012.08.30 Thursday
    • 00:30
    ダンの好きなこと、それは大好きな海で沢山泳ぐことだった。「もう今日は終わりにしよっ!」と言わない限りいつまででも海で遊ぶ。まるで人間の子供達と同じだよなって錯覚すらしてしまう。浜辺の砂場で身体を思い切りこすりつけたり、穴を掘って遊んだり、小さなカニと遊んだり、時には大きな波が浜辺に打ち寄せればジャンプして波乗りしたりする運動神経抜群の子であった。そんな天国のような自然を十分満喫していたダンディーだったが、この時(画像は2012..8.3)には既に肺水腫にかかっていたとは知る由もなかった。いつもダンが泳ぐ時は、私の指示を待つことなく一目散に海に向い、バシャバシャとダイビングするのである。そして・・・「とうちゃん、俺、泳ぎうまいやろ〜っ」ってな顔はするし、浜辺に上がれば、「エヘン!、とうちゃん、すごいやろ、どんなもんだい・・・。」と得意げな顔さえするのである。それがダンディーにとって一番楽しくて、幸せだったのかも知れないと今は思う。すべてを制約し、自由にやりたいこともさせない親(飼い主)もいる。はたして犬はそれで満足しているんだろうか?。一日中、鎖で繋がれたまま過ごす犬もいれば、檻に入れられたままの犬もいる。家の中で一歩も出されたことがない犬もいる。それで犬は幸せだろうか?。ダンの場合はそんな犬たちと大きく違う。自由奔放だ。だが、決して我侭に育ててはいないのである。きちっとした躾と教育したせいか行儀は良い。その上、知覚が高いのが私の自慢だった。私の素振りで何をするかが分かるし、私の言葉は有に100種類ほどは理解している可愛い相棒である。だが、もうダンディーはここにはいない・・・。

    ダンディー PAT8





    • 2012.08.29 Wednesday
    • 16:08
    人でも動物でも生活面において苦手意識というものが多く存在している。その辺は幼少時期に何かのきっかけで嫌な思いを受けたと時とか、そんな光景を見たとか、食べたとかいろんなことがある。私も幾つかの苦手なものがある。我が家のダン(故犬)においてもこんなことが大嫌いであった。普段、元気よく走り回っていたダンは、雨が大嫌いである。あれほど水泳ができるのに何故?雨が苦手かは当初分からなかった。しかし、彼と付き合いが深くなるにつれその理由が分ってきた。要は雨が嫌いではなく、降雨時に車だけは乗りたくなかったのだ。何故?乗りたくなかったかの理由はこうである。まずワイパーがキィ〜キィとフロントガラスを擦りながら音を立て、車は濡れた道路を走る。例えば路肩に水溜りがあり、そこを走り抜けるときバシャッ、バシャッ、バシバシ〜、と言ったような大きな音を立て走り抜ける。どうやらその音が、ダンの指定席である助手席の下から突き上げるように響くのだ。彼の代弁をするならば、それは『恐怖の旋律』そのものであった。その音が4〜5回連続するとなると、身体をブルブルと震わせ「とうちゃん怖いよ〜っ」と言ったような顔して運転中の私の膝の上に移動してくるのであった。そんな可愛くてナイーブな彼に「大丈夫!、水溜りの音だよ!そんなに怖がらなくてもいいやん」と頭を撫ぜながら声をかけるが、彼にとってはそれどころの騒ぎではなかった様だ。とにかく朝家を出るときも、雨天気であろうならば、モタモタと歩き、大きな耳をこれでもかっと言わんばかりに伏せ、「あ〜あっ、俺、店に行きたくないな〜っ」と言わんばかりの顔をしてはいたが、仕方なく彼を抱き上げて、車の助手席に押し込むことが多かった。そんな神経質なダンディーであったが、もう彼のその姿を見ることができない・・・・。

    若き日のダンディー PAT7



    • 2012.08.28 Tuesday
    • 03:48
    今から4年前の(h,18,09,24)、平戸桟橋から午前9時発のフェリーに乗って度島に渡る一コマ(上部画像)である。何故?度島なのかと言えば、海の幸として高級感溢れるウニ漁の取材に出かけた時だった。係り員に犬の運賃はと聞いたところ、しっかりリードしてくれれば無料で良いよと言われ、とりあえずリードをしっかり結び、出発するときであった。ダンは船に乗車するのは今回で2回目である。初乗車は生月時代、小型船で釣りに出かけた時があり、さほど怖がる素振りはなく、今回も余程嬉しかったのである。また、かあちゃんもそんあ感じでもありんした。早速、組合から小型船に乗り、沖でウニ漁をしている海女さんを取材しに出かけた時の画像(下部画像)である。とにかくダンは片時も私から離れることはできない可愛くて忠実な相棒であった。そうか、もうあれから4年もなるんだなと物思いにフケるがその当時の光景が目に浮かんで来てしまう。同行のカメラマン(塚ちゃん)もそんな私達三人の楽しい光景を羨んでいたな〜と目に浮かぶ。
    そういえば、ダンがあちらの世界に行って今日で一週間になる。もう帰って来ないと諦めはするがそれはダンのこと、今まで通り私の傍から離れずにいるんではないかと心配してしまう。かあちゃんに会うため半年前に大枚はたいて購入したヘミシンクも練習不足で効果なし。二人に会うため、もう一度、真面目にチャレンジしすることが今の私の最大の目標にするとする。二人共、心配せんで待っていろよっ!。必ずとうちゃんが会いにいくから・・・。

    若き日のダンディー PAT6




    • 2012.08.27 Monday
    • 01:18
    少年期(幼犬)を経てたくましさ増した青年期(成犬)に成長した彼ダンディーの惚れ惚れとする凛々しい姿だ。体毛はこの間、幾度も生え替わり、毛先はキラキラと光沢を放ち、パピヨン犬特有のふさふさとした尾がなんとも言えない魅力を感じたころだった。彼には大した躾はしていなかったが、いつの日か忘れたが、なんとなく自分なりにマナーが出来上がっていた。美容と言えば、毎朝ブラッシングを欠かさず行い、私がティッシュを濡らして手に取れば、顔(目やに)を洗うことだと理解していた。それと毎日欠かさずにしていたことは、ダンと会話を沢山したことである。当然犬だから言葉は話せない。だが、ある程度の単語や言葉は理解する。真剣に私の目を見ては首をかしげ、聞こうと努力する仕草がとても可愛かった。だが、人間ではないことは重々分かっている。動物やペットを飼ったことがない人は恐らくこういうことを決まって言う。「そんな犬や猫に人間の言葉なんかわかるかい!お前、アホカっ」。そう言われて当然のことだと思う。以前の私も実はそんな気持ちだった。ところが実際、一緒に生活をしてはじめて分った。それがわかるのだ(すべての犬がそうであるとも限らないが・・・)。そう、犬はとても賢いのである。特に我が家のダンディーは
    昨日、ペットロス症候群と記したが、調べてみれば人それぞれ症状が違うのだ。精神疾患やうつ病になる人。不眠症や胃潰瘍になる人。幻覚や錯覚で苦しむ人。自責の念や人のせいにする人。過食症や摂食症になる人。様々である。私の場合はどれに当てはまるのかと探してみた。どちらからと言えば『自責の念と、摂食症』に当てはまった。それになりやすい性格だった。他界したかあちゃんの時も同じだった。一気に体重が落ち、働く気力さえ消え失せていた。それに付け加え、私自身を責めていた。今もまったく同じことに陥っている。繰り返していると言った方が正しいかも知れない。もう残された人生慌てることはない。もう失うものは何もない。そう、ゆっくり人生を楽しみたい。

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